東遊園地の第2回(第1回はこちら)。
今回はまず、公園と神戸の歴史を物語る記念物の数々を紹介します。
東遊園地(神戸市中央区)

公園南側のブロックにあるのは、ここにかつてあった外国人社交クラブとスポーツクラブの建物を模した施設。あくまでも模しただけで、中身は公園管理事務所とレストランになっています。
なお、どちらのクラブも、今は場所を移して現存しています。
東遊園地(神戸市中央区)
東遊園地(神戸市中央区)

●現地の解説板より
写真の建物は居留地時代の在留外国人の社交クラブとスポーツクラブの建物で、現在の東遊園地のこの付近にありました。それぞれの建物の特徴を、正面建物(管理事務所)と右側建物(レストハウス)の外観に活かしています。
平成3年7月

こちらは公園の横手、フラワーロードの歩道につくられた流れなのですが、よく見ると橋のたもとに「かのうばし」と書かれた石製の親柱を模したモニュメントが設置されています。
もともとフラワーロードは旧・生田川が流れていたところですが、たびたび水害を起こすので1871年(明治4年)に付け替えられました。この工事を取り仕切ったのが加納宗七で、工事に伴って拓かれた一帯には加納町という町名も残っています。
この橋の近くに加納宗七の小さな像もあるのですが、なぜか写真を取り忘れました。
東遊園地(神戸市中央区)
東遊園地(神戸市中央区)

公園の一角には、A.C.シム、モラエス翁、ボウリング発祥の地という3つの記念碑が集まった一角もあります。相互の関連は強くなく、設置された時期も違うので、それぞれバラバラに設置されたものが公園の再整備などにあわせて集められたものではないかと想像します。

まず敷地の中央にあるのはA.C.シム(Alexander Cameron Sim)の顕彰碑。いわゆるオベリスクの形をした顕彰碑は、現地の解説のとおりなら100年以上前に作られたものです。
スコットランド出身のシムは、明治の頃に居留地で薬品の輸入販売などを手がけて活躍した実業家です。
商売そのものもさることながら、居留地の外国人社会でのボランティア活動、スポーツクラブ運営などの中心を担った人物として、神戸では今もあちこちに名を残しています。
東遊園地(神戸市中央区)

●現地解説板より「A.C.シム記念碑の解説」
A.C.シムは、スコットランド人化学者であり、薬剤師。K.R.A.C(神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブ)の創設者。今は懐かしい“ラムネ”の発明者としても知られている。
1870年来日から1900年に死去するまで神戸の青少年のスポーツ振興だけでなく、居留地共同社会のために大いに貢献した。義勇消防隊の編成及びその隊長を永年に渡って勤めた。その他道路の建設・改修など公共事業の指揮・監督の任に当たり、全力を尽くした。また1894年岐阜大地震など各地の災害を聞くと自ら有志をつのり外国人社会からの救援物資を現地に運んだ。
彼は1899年、居留地返還に際しては、その返還証書の署名者でもあった。
1900年死去。再度公園外国人墓地に永眠している。この記念碑は、彼の死後、神戸はじめ横浜、長崎の友人たちがシムの奉仕的精神に富んだ社会奉仕を記念して、現在の東遊園地の南一隅(旧K.R.A.Cクラブハウス前)に建立したものである。
1981年3月 神戸市

続いてモラエス翁の胸像
1854年にポルトガルのリスボンに生まれたモラエス(Wenceslau José de Sousa de Morais)は、1898年~1913年の間、外交官として神戸のポルトガル領事館に勤め、1913年に徳島に移り住んだ後、1929年に75歳で亡くなりました。日本に関する著作をポルトガルで多数発表しており、明治~大正の日本を海外に紹介した作家として知られています。
神戸に暮らしたのは40代後半ですが、この胸像が建てられた頃には「翁」イメージが強くなっていたようです。
東遊園地(神戸市中央区)

こちらのお洒落なデザインの記念碑は、ボウリング発祥の地の碑。
「発祥の地」と言いながら、解説文には「長崎につぐ」「伝来の地」と書かれているあたりが少々いい加減です。恒久的なボウリング設備を持つ建物が設置されたのが「日本初」という意味でしょうか。
東遊園地(神戸市中央区)

●現地解説板より「ボウリング発祥・記念碑」
神戸開港間もない1869年4月20日、外国人居留地だったこの地にボウリング設備のある THE KOBE CLUB が誕生。長崎につぐボウリング伝来の地・神戸では、わが国スポーツ文化の夜明けに影響を与えるストライク交歓が活発にくり広げられた。
記念碑は1989年のボウリング発祥120周年、神戸市制100周年の記念碑建立計画に基づき、1991年7月23日に完成。

こちらは「洋服着用太政官発令100年」を記念したモニュメント。
早くから外国人が暮らしていただけに、神戸の洋服産業というのも伝統あるものです。
東遊園地(神戸市中央区)

●現地解説板より
この大きな石は、神戸洋服商工共同組合が、明治5年の洋服着用太政官発令100年を記念誌、この東遊園地に、現代彫刻を設置することを計画して、彫刻グループ環境造形Q(山口牧生、増田正和、小林陸一郎)に製作を依頼したものです。素材の石は岡山県北木島より運びました。彫刻は洋服の身頃と袖を象徴化したものです。

こちらは、公園北隅の一角に残る噴水跡。
阪神・淡路大震災までは、霧が出たり、水が渦を巻いたりといった面白い仕掛けのある噴水だったように思うのですが(もう20年近く前なのであやふやな記憶ですが)、 震災からずっと止まったままです。
地下に埋めてある部品などが壊れ直せないのだとは思いますが、いつかまた動いている状態を見たいものです。
東遊園地(神戸市中央区)

ちなみに、こちらの噴水は、神戸で長く繊維取引に携わった三木瀧蔵氏からの寄付によるものです。
●現地解説板より
この噴水は三木瀧蔵奨学財団の創設者、三木瀧蔵氏が、神戸生絲取引所 理事長を退任されるに当たり、市民の憩いの場となることを願って、寄贈されたものである。
昭和48年9月 神戸市

最後は、その他の記念物たち。
まず神戸市で少年時代を過ごした人には忘れられない、通称「連絡帳の像」。
なぜにそんな通称かと言うと、昔から神戸市内でのみ流通している小学生向けの学習帳がありまして(最近は、通称・神戸ノートと呼ぶ人もいるようです)、そのシリーズの連絡帳の表紙がこの銅像だったのです。
台座には「どうぶつを あいする人のかおは きれいにみえる」と書かれています。
東遊園地(神戸市中央区)
東遊園地(神戸市中央区)

こちらは「ふれあいの滝」
西洋風の様々なレリーフが並ぶ滝のモニュメントですが、訪れた時は水は止まっていました。
正確なところは分からないのですが、レリーフは兵庫・神戸では著名な彫刻一家、新谷家の皆さんの共作であるようです。
東遊園地(神戸市中央区)
 東遊園地(神戸市中央区)
東遊園地(神戸市中央区)

「ふれあいの滝」
人と人・日本人と外国人・男と女・人ともの・人と自然など私たちの暮らしの中にある限りない「ふれあい」を大切にしたいと願っております。
創立30周年を記念して
昭和56年3月3日
神戸市婦人団体協議会(105,798人の善意)

これは前回登場したマリーナ像のすぐ近くにある「明日の手形」
子供たちが手形を押したタイルが壁状のモニュメントとなっています。
なんとなく勝手に、震災関係のモニュメントのように思い込んでいたのですが、改めて確認してみると40年も前になる1973年に作られたものでした。
東遊園地(神戸市中央区)

神戸との関わりがよく分からない(と言うか、たぶんない)ものとしては、こちらのモーツァルト像。かなり巨大なものです。誰が建てたのかもよく分かりませんが、建立当時にモーツァルト大好きな人が神戸にいたのでしょう。
東遊園地(神戸市中央区)

●現地解説板より
この像は、偉大な音楽家W.A.モーツァルトを追憶し、没後200年を記念して、全国有志のご協力により建設されたものです。
1991年11月2日

ということで、公園そのものにはろくに触れずに、記念物ばかりを追いかけた東遊園地訪問でした。
個人的に、こういう「どこに持っていったら良いのかハッキリしない色々な歴史と歴史への思い」を受け止めるのは、公園の大切な役割だと考えています。なにごとも行きすぎは良くありませんが。
東遊園地(神戸市中央区)


(2013年4月訪問)

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